サロン日記
2025 / 01 / 17 13:43
ことしの1.17、被災から30年
私は癒されたんだと思いました。
時間に癒されていつのまにか、
傷跡ではなく思い出になっていました。
以前の記事を振り返ると時の流れを感じます。
きづいたら終わってた、
ことしの「5時46分」
前の日から「明日だなぁ」という
あるいみ毎年の覚悟をきめて就寝。
「今年も、もうすぐだな」
と思いながら、5時ごろから起きていました。
神戸三宮の東遊園地で行われる3.17の集い。
私自身、何度も参加してきて、
行けない時は友達が私のぶんも祈って
被災した時に暮らしていた
「西宮市」の灯籠をみつけて
写真を送ってくれました。
灯籠のあかりに手を合わせると
揺れた瞬間の自分にタイムスリップして
あの時の神戸の街や
亡くなった隣人の顔がうかんで
苦しい涙があふれていました。
集いに参加できないときは
黙祷の灯りと人々テレビをつけて
「5時46分」そのときの時報を静かに待った。
ことしはね、
母と話していたら過ぎてたの。
黙祷の声も音も、ほかの話をしていて
私たちの心を通過してしまいました。
苦しかった時が、優しい思い出になって
いま苦しんでる人の気持ちに
寄り添って話がきけるように
心の傷跡は癒やされてきた気がする。
ああこの時間だ…と身が縮む思いをしていたけれど、こうやって自分の中で思い出や歴史としてページを閉じられていくのだと。
私のように癒やされてページを閉じることができる人ばかりではないと思うけれど
これからは
災いや悲劇に予期せずみまわれた人々のために
皆様が癒やされますように祈ろうと思います。
ようやくここまでこれたなぁというきもちです。
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